ドの物語

ドはHOJの創設期に隣町マティからやってきました。
教会の前で障害を持った子が物乞いをしている、ということで福祉局が保護したんです。

その子は幼い頃に父親から受けた折檻で背骨が曲がってしまい、身体が大きくならなくなっていました。
その上、先天的に耳が聞こえず、身振りとうなり声だけで生活していたので、近所の人たちには「犬の子」と呼ばれていました。
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両親は町はずれの草むらに掘立小屋を建てて暮らしており、父親は完全なアルコール依存症。
母親も父親の暴力に耐えかねて自身も酒浸りになっており、緊急を要すると8人兄弟が保護されました。

HOJにやって来たドをさっそく病院に連れて行き、観てもらったところ、背骨はもう曲がった状態で固まっているので治療は不可能、
でも耳の方は完全に聞こえないわけではないので補聴器をつければ聞こえるようになるとの診断を受けました。
さっそく補聴器を入手してつけてみさせたときのドの表情は今でも語り草です。
目を大きく見開き、きょろきょろして、「今何が起きた?」と慌てる様は感動的でした。
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それからバドンは学校に通って少しずつ言葉を習得していきました。
明瞭に話せるようにはなりませんが、もともと人の口を読むことには長けていたので、
2年もすると簡単な会話ならできるようになりました。

そしてドが13歳になった時、父親のアルコール依存は直りませんでしたが、母親が更生したということでドは実家に戻りました。
HOJも福祉局も、ドが学校に通い続けられるようなプログラムをいろいろ考えて提案したんですが、
ドはそのすべてを断り、働くことを選びました。読み書きとお金の計算はもう覚えたから、勉強はもう十分、とのことでした。
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まずドは教会の前で靴磨きを始めました。もともと物乞いをしていた場所です。
はじめは靴を磨くだけでしたがすぐに修理も請け負うようになり、修理できるものも靴だけでなく、鞄、傘などと増えていきました。

ドは稼いだお金を秘密の場所に埋めて隠し、少しずつ貯めました。その場所は今でも兄弟たちも知りません。
そして貯めたお金で念願の自転車を購入。町中を周って靴修理をするようになりました。
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ドが次に買ったのは小さな電卓でした。ある程度会話ができるようになったとはいえ、値段交渉などはやはりなかなか通じません。
そこでドが思いついたのが、電卓を見せて交渉するという方法でした。これほどシンプルかつ効果的な方法があるでしょうか?
こうしてドは、ドのことを知らない人ともコミュニケーションを取り、どんどん顧客を拡大していきました。

そうして貯めたお金で、ドはまた自転車を買いました。今度の自転車は荷台つきです。
ドは町中を靴修理しながら回っているときに、そこかしこに売ればお金になるペットボトルや鉄くずが落ちていることに気づいたのです。
そこで、1周目は靴修理しながら拾うものの目星をつけておき、2週目で回収して周る、という方法を思いついたのです。
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こうしてビジネスを拡大したドは、またまた自転車を買いました。
今度は何?と思ったら、なんとそれを1時間いくらで近所の人に貸しだすサービスを始めました。
長くフィリピンに住んでいますが、こんなビジネスをフィリピンの田舎で見たことはありません。
この商才と根性には本当に敬服します。
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稼いだお金で家に電気を引き、テレビを買い、大きくなった弟妹たちが大学や専門学校に行くことも支援し、
おかげで妹たちは海外に出稼ぎに行ったり、病院で准看護師として働けるようになりました。
(写真は准看護師になったピンピン。最初の写真の一番手前の子です)

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身体の障害、重度の難聴、アルコール依存症の両親、8人の兄弟、草むらの掘立小屋暮らし。
それでもあきらめず、安易に犯罪に走ることもなく、これだけのことを成し遂げたドは、厳しい状況に生まれた人たちの希望です。
これからもそのたくましい根性で活躍してくれることでしょう!