ジョネルは2000年、4歳のときにダバオからHOJにやってきました。
とても小さい子が市場でビニール袋を売っている、ということで教会のシスターたちが保護し、
福祉局を通してHOJで預かることになったのです。
ジョネルは「孤児」ではありませんでした。ちゃんとお父さんがいて、お父さんと一緒に住んでいました。
両親が分かれてしまい、シングルファザーになった父親には幼いこどもの面倒をみながら働くことができず、
生活が行き詰ってしまっていたために、市場の仕事を手伝わされていたのです。
さらに下に幼い弟と妹がいることが分かり、すぐに3人でHOJに入ることになりました。
HOJですくすくと育っていたジョネルたちですが、
ダバオの福祉局から「お父さんの経済状況が安定したので実家に帰れますよ」との通達をうけ、また父親と暮らすことになりました。
もちろん親と暮らせるならそのほうがいいに決まっていますから、ジョネルはダバオに戻りました。
ですがHOJとしてはジョネルが本当にちゃんと暮らせているのか、心配でたまりません。
数か月後に見に行ってみると、ジョネルはまた市場で、働かされていました。
着ているものもボロボロ、髪は伸び放題、サンダルは擦り切れていて、手足は傷だらけでした。
お父さんは日雇いの仕事こそしていましたが、給料をギャンブルでつくった借金の返済とお酒に費やしてしまい、
こどもをちゃんと学校に行かせるのは全然不可能な状態でした。その場で話し合い、すぐにHOJに連れて帰ることにしました。
福祉局の調査がいいかげん、というケースは、実は結構多いんです。
これ以来、HOJでは福祉局の調査報告を鵜呑みにはせず、必ずこちらでも裏を取るようにしています。
HOJに戻って来たジョネルは、すくすくとたくましい青年に成長していきました。
動植物の世話をするのが性に合っているようで、花壇の手入れや、週末の畑仕事を、よくやってくれました。
特別勉強ができるというわけでもありませんが、落第するようなこともない適度な真面目さでハイスクールも無事卒業。
卒業後は大学に通いたい?職業訓練校に行きたい?との問いに、迷うことなく「働きたい」と答えました。
そして知り合いが運営するダバオの食品加工工場に就職。
就業時間中、ほぼ立ちっぱなしでマンゴーを運んだり切ったり洗ったりする、
フィリピンののんびりした人たちからするとかなり厳しい仕事なのですが、非常にまじめな勤務態度で1年以上働き続けています。
働き始めて1ヶ月目。初めての給料をもらったジョネルがお土産にお菓子をたくさん買ってHOJを訪ねてきました。
ああ、HOJに残っている妹に会いに来てくれたんだな、立派な青年に成長したなあ、と思っていたら、ジョネルはこう言いました。
「おれ、稼げるようになったから、妹はおれが引き取るよ。」
19歳の若者です。初めて稼いだお金で買いたい物はいくらでもあったでしょう。携帯電話、自転車、時計、服、デート代…。
でも彼は、迷うことなく妹を迎えに来たのです。正直、本当に驚きました。
さらにジョネルはお父さんも呼び寄せ、念願の「家族で一緒に暮らす」生活を始めました。
いまだに日雇いで働くお父さんに代わり、工場で正社員として働くジョネルが一家の大黒柱です。
HOJのこどもたちに「理想の将来像」を見せてくれたジョネル。これからの活躍に期待したいです。