HOJ誕生までの物語 Vol. 7

台湾での生活を捨て、五島の孤児院で2年間の「修行」を積んだ烏山夫妻は、
1997年の春に、いよいよフィリピンに戻ってきました。

孤児院を作る場所の候補はもう決まっていました。アイダさんの地元、サンイシドロです。
サンイシドロ市では、ちょうどアイダさんのお姉さんが市長さんになったばかり。
孤児院設立の煩雑な行政手続きを考えたら、これ以上の場所とタイミングはありません。

幸いなことに、サンイシドロに着いてすぐに市長さんの紹介で、銀行を運営しているお金持ちのコンスンジさんという方が、
市長さんの家の目の前に持っていた土地を、HOJに寄付してくれることになりました。
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ですが、「銀行家から土地をもらう」という形だと、あとでいろいろと税金や所有権のことで問題が起きそうなので、
「銀行から教会に寄付した土地を、教会から半永久的に借り受ける」という形にしました。
このおかげで、HOJと地元の教会には、単なる「ご近所」以上の関係が芽生えることになりました。
HOJの運営に教会をまきこみたい、という発想は、若い頃に烏山さんを突き動かすことになった
「キリスト教とは何だろう?」という疑問への、ひとつの答えだったのでしょう。
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(HOJ予定地。はじめは草と木の生い茂る空き地だった。)

場所が見つかれば、つぎは建設スタッフです。これはアイダさんの地元ということもあって、
すぐに信頼できる仲間がたくさん見つかりました。今でも働いているフィデルさんは、このときからのメンバーなんですよ。
フィデル
他にも、台湾で烏山さんの運転手をしていたジョジョさんも、「恩義のある烏山さんのために働きたい!」とフィリピンに戻ってきて、
スタッフになってくれました。こうして、頼りがいのある男性スタッフが見つかり、急ピッチで建物の建設が始まりました。
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孤児院で最初に引き取る子たちも決まっていました。そう、事故で亡くなった親友、アマドさんのこどもたちです。
また、孤児院を作る噂はすぐに町中に知れ渡り、まだ建物も完成する前に、何人もの子が地元福祉局から紹介されてきました。
あっという間に13人のこどもが集まり、建物がないのでとりあえず市長さんの家のゲストハウスでみんなで生活しました。
初期メンバー
この頃にHOJに植えたマンゴーの苗が、今では立派な木になって、毎年実をつけてこどもたちを喜ばせています。
植樹
1997年8月、ついに建物も完成!ここからついに、HOJの歴史のスタートです!