レナリンは2006年、10歳のときににHOJにやってきました。
レナリンの家族はダバオの町の中でも、最も貧しいと言われるエリアのひとつ、海際の海上住宅地に住んでいました。
お母さんは何度か事実上の結婚と離婚を繰り返しており、レナリンには5人の弟、妹たちがいました。
レナリンは小学校1年生のときに交通事故に巻き込まれ、右手を失っていました。
事故を起こした人も保険などに入っているわけではないので、まともに治療費もはらってもらえず、
ひょっとすれば切断しなくてもよかったかもしれないケースだったそうです。
お母さんは不定期にお手伝いさんや洗濯の仕事をしていましたが、6人のこどもを養うにはギリギリの生活です。
なんとか4年生まで学校に通っていたレナリンを、来年度は学校に行かせられない、というくらいに生活は逼迫していました。
そんなときにようやく福祉局が動いてくれて、レナリンと、3歳と4歳の妹、弟がHOJにやってくることになりました。
その後、お母さんが多少安定した収入の得られる仕事を見つけたために、弟と妹は実家に戻りましたが、
レナリンは本人の強い意志で、HOJに残ることに決めました。
実家のある地域では、近所中の同年代のこどもが働かされているのが事実です。
そんな場所に戻ってしまったら勉強を続けられない、とレナリンは思ったのです。
11歳にしてそう思うくらいにレナリンは勉強熱心で、成績優秀でした。
はじめは腕のことで特別支援学級に入ったレナリンですが、すぐに成績優秀者のクラスに移されました。
そこでも常に上位10位以内に入り続け、HOJの中でも他の子の勉強を手伝う「家庭教師」でした。
学校で才能を開花させていったレナリンは、学校教師にあこがれるようになりました。
しかし、学校の先生の働きぶりをずっと観察したうえで、本人なりに「片腕で教師をやるのはこの町では難しい」と判断し、
こんどはソーシャルワーカーになりたいと言うようになりました。
しかしこれも、HOJのソーシャルワーカーから、ただでさえ資格を持っていても仕事を見つけるのは難しいという現実を教えられ、
「自分にもできることは何だろう?」と真剣に考えるようになりました。
そしてレナリンが選んだのが「日本語を勉強すること」です。
日本語をマスターして通訳や観光ガイドのような仕事につけば、身体的なハンディは関係ない、と考えたのです。
日本語を勉強するにはダバオの私立大学に行かなくてはいけません。普通の学校よりもずっと授業料が高いので、
夢をかなえるためには奨学生に選ばれる必要があります。
夢を持ったレナリンはそれまで以上にがんばり、高校卒業時の成績もとても優秀で学年で7位になりました!
大学の募集している奨学金システムにも受かり、2013年からミンダナオ国際大学で日本語を勉強を始めました。
1年目にして日本語能力試験5級に合格、今年は4級にも合格して、年末には3級に挑戦します。
日本語能力試験3級に受かっていれば、レナリンが想定していた「通訳」や「ガイド」の仕事も引く手あまたです。
ここはぜひともがんばってほしいところですね。
勉強だけでなく、大学の横にある小学校の生徒への家庭教師のアルバイトにも精を出しています。
大学での勉強もあと1年半。夢に向かってがんばるレナリンを、みなさん応援してくださいね!