ドドンの物語

ドドンは2007年にHOJにやってきました。
15歳でドドンを産んだお母さんは、親戚にドドンを預けて失踪してしまい。
たらいまわしにされたドドンは、曾祖母に育てられました。
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曾祖母はかなりの高齢でしたが、ドドンを育てるためにヤシの葉でホウキを作ってバスターミナルで売っていました。
でも、もちろんそんなのはたいした収入になりません。
ドドンが大きくなり、食べる量も増えてきた頃には養いきれなくなり、村長さんに相談した結果、ドドンはHOJに入ることになりました。

ドドンは曾祖母に引き取られる前にいた親戚の家で、遠い親戚の男に虐待を受けていました。
そのせいか、お手伝いなどはきちんとするんですが、非常にビクついた子で、泣き虫で、他の子と一緒に遊ぶのが苦手な子でした。
同年代の男の子がHOJにいなかったのが、さらにそれを拍車をかけていたような気もします。
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反面、学校での成績はいつもよく、一緒に幼稚園に通い始めたジョアン、インダイガマイ、クリスティーナガマイと比べても、
「お勉強はできる子」という印象でした。
また、小さい頃から目鼻立ちがしっかりしていて、ビジターたちからは「きっと将来はすごいハンサムになる」と期待されていました。
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成長するにつけ、確かに勉強はできるし、顔もかっこよくなっていきましたが、「一匹狼」気質はなかなか抜けません。
途中からは明らかに集団行動を嫌う感じになり、みんなでの行動ができないために、ダバオ遠足のたびに迷子になっていました。
本人的にはまったく道になんか迷っていないので「迷子」ではなく「1人行動した」だけなんですけどね。
引率する立場からしたら厄介きわまりない存在です。そんなわけで、日常生活でもスタッフに叱られることが増えていきました。

そんなドドンに2つの転機が訪れました。ひとつは、親戚の家との和解です。
ドドンを虐待していた男というのは、「遠い従姉の内縁の夫」だったんですが、その関係が切れて、いなくなったんです。
それを機に、ドドンは夏休みやクリスマス休暇に、親戚の家へ「里帰り」するようになったんです。
自分には、自分を受け入れてくれる親戚がいる、ということが、「自分だけ」だった彼の世界を溶かしていったのです。
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そして、もうひとつが、自分より小さい男の子たちがHOJに次々とやってきたことです。
長いこと「男の子の中では一番下」だったのが、「おにいちゃん」になったわけです。
頼られたり、教えてやったり、適度に威張ったり、仕切ったりすることから、ドドンは「一緒に遊ぶ」楽しさを感じるようになっていきます。
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そんなドドンの、忘れられないエピソードは、年末の大掃除のときのことです。
普段は掃除しない場所をきれいにしよう!と言ったら、ドドンはジルマーと一緒に、図書室の本を一冊ずつきれいにしはじめました。
すると1時間後、「コヤシン!こんなの見つけた!」と言って、1万円札を持ってきたんです。
誰かがヘソクリにしまったのを忘れたまま、HOJに寄付してしまったのでしょうか?
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一万円札の価値を知っているドドンが、それを自分のものにせず、ちゃんと届けてきたことがとても嬉しくて、私はそのことを褒めちぎってから
このお金でおいしいものを買ってみんなで食べよう!と持ち掛けました。こどもたちは大喜びです。
でもそのときに、そこにいたジェプリルが「そしてそれを台風で家とか食べ物がなくなっちゃった人に持って行こうよ」と言いました。
最初に「それがいい!」と言ったのが、ドドンです。

なんでも自分だけ、自分のもの、自分さえよければ、という感じだったドドンが、いつの間にかこんなふうに成長していたんです。
私は泣き顔を見られたくなかったので部屋に駆け込んだのを覚えています。

小さい頃は一人で写っている写真ばかりだったドドンが、大きくなってからはいつも他の子と一緒に写っています。
ロジャーの影響でサッカーに興味を持ってからは、さらに「チームプレイ」を大事にする子になっていきました。
竹音楽隊でも、一番みんなと息を合わせなければいけない、難しい「竹ベースサックス」を担当しました。
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この4月から、試験的に親戚の家に暮らし始めたドドン。
半年ほど経過を観察して、このままうまくいきそうなら、正式にHOJを「卒業」することになります。
奇しくもこのタイミングで、行方不明だったお母さんとも連絡がとれました。
数年後にはずっと夢見ていた「お母さんとの暮らし」も実現できるかもしれません。

ドドンがどんな子だったのか、どんなふうに成長してきたのかを、早く母親に語って聞かせる日が来ることを祈っています。