リッキーは「約10歳」のときにHOJに来ました。
「約」というのは、だれも彼の本当の歳を、彼自身も含めて、知らなかったからです。
リッキーは姉のカテリンと共に、親戚だという男性の家で育てられていました。
しかし、その家の経済事情が逼迫してくるにしたがって、「なんで私がこの子たちまで育てなきゃいけないんだ」という感じで
あまり家庭の中で大事にされなくなり、学校に通わせてもらうこともなく暮らしていたところを、福祉局が保護しました。
こういう場合、普通なら「親戚なんだからあなたが責任を持って育てなさい」ということになるのですが、
今回は違いました。男性は、常識的に考えれば「親戚」ではなかったからです。
リッキーのお母さんをAさんとしましょう。AさんはBさんと結婚し、リッキーを生みましたが、すぐにBさんとは別れてしまいます。
そして、リッキーたちを連れてCさんと結婚し、こどもを設けました。リッキーの父親違いの妹にあたります。
しかしその後、またAさんは他の男性と暮らすようになり、リッキーたちをCさんに預けていなくなってしまいました。
その後、Cさんがリッキーたちを育てていましたが、ほどなくしてCさんは病気で亡くなってしまいます。
残されたこどもたちはCさんの弟であるDさんに引き取られました。このDさんというのが、前述の「親戚の男性」です。
CさんとAさんの間に生まれた子は、確かにDさんから見れば親戚です。
ですが、リッキーたちはDさんから見れば「亡くなったお兄さんの元妻の連れ子」です。
「親戚」の適用範囲がものすごく広いフィリピンにおいても、これは親戚とは言えません。
そんなわけで、お母さんが見つかるまで、ということでリッキーたちはHOJにやってきました。
来たばかりの頃のリッキーは、とてもシャイで、状況の変化にまごついている感じでしたが、
すぐに他の子たちと仲良くなり、少しずつそのやんちゃぶりを発揮していくようになりました。
前に住んでいた家でも放ったらかしにされていた時期が長かったせいか、集団のルールを守ることができず、
問題を起こすこともしばしばでしたが、小さい子たちに優しく、同年代の子たちとも楽しく遊び、
ビジターに甘えることも上手なリッキーは、HOJのムードメーカーとしてその立場を固めていきました。
忘れられないのはダバオに遠足で連れていってやったときのことです。
生まれて初めての「都会」にリッキーは本当に大はしゃぎでした。
怖くてエスカレーターに乗れずに1人で遠回りして階段を上ったり、
アイスクリームを食べ過ぎて車に酔ってしまったりと珍道中でしたが、
今でも「あの遠足は楽しかった!」と言っています。
もう一つ忘れられないエピソードは、夏休みのおこづかいの話です。
こどもたちに「夏休みの間、計画的に使うんだよ」と言って50ペソを渡したんです。
たいていの子は小さなお菓子などを買って、あとは年上の兄弟に預けて2週間くらいかけてつかっていたんですが、
なんとリッキーは、その日のうちに50ペソ全部を使って、お菓子を袋いっぱい買ったんです。
そして、驚いたことに、買ったお菓子を他の子たちに分けはじめました。私にまでくれようとしました。
「え?いっぱいあるんだからみんなに分けるに決まってるじゃん?」という感じでした。
何か、私たちが忘れてしまった大事な感覚を、リッキーは持っているような気がします。
自分の誕生日も知らなかったリッキーのために、HOJで誕生日を作ることになりました。
いつがいいかな?と相談して、「毎月だれかが誕生日なほうが楽しいよね」ということで、他に誕生日の子がいない3月を選びました。
初めての誕生日にはこどもたちがお小遣いを出し合って、カップケーキとロウソクを買ってきて祝いました。
小さな小さなケーキに大きなロウソクが突き刺さっていて、なんとも不恰好でしたが、こんなに素敵な誕生日のケーキは他にないと思いました。
そんなリッキーももうすぐ14歳。HOJの中では「大きい子」に入ります。
もうヤシの木に登って実を取って来ることだってできますし、薪割りの腕もあざやかなものです。
リッキーが素敵な誕生日をこれからも迎えていけるように、みなさん一緒に見守ってくださいね!